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■開業初期〜千客万来〜
 鉄道の開通以来、通勤・通学客はもとより、観光客の利用が増えていった。開業当時の路線で、曲線や勾配がきつい場所など国からの補助を受け線路の改良を行った。また、当初の豊平駅、石切山駅、藤ノ沢駅、簾舞駅、定山渓駅の5つの駅でスタートしてから、大正9年4月1日に真駒内停車場が開業、さらに大正13年1
月1日に滝の沢停車場、大正15年8月15日に一の沢停留場が続いて開業した。さらには、大正15年8月21日に北海道鉄道の沼の端から苗穂までの開業にともない、東札幌停車場を開業し共同で使用した。その後、豊羽鉱山の鉱石搬出や、御料林から伐出された木材の輸送に伴い、昭和3年6月7日に錦橋停車場が開業した。
 大正13年、新聞紙上で募集した北海道三景に、利尻、洞爺湖に並び定山渓が選ばれ、定山渓の名は一段と高まり、各新聞社主催の観楓団体列車には参加者が殺到する状態で、団体客が急増し、日曜、祝祭日には客車や機関車はフル稼動されていたが、機関車が小さく輸送力は低かった。

■昭和〜電化に向けて〜
 昭和の時代に入っても、沿線の景勝や温泉にひかれる行楽客の増加はとまらず、輸送力の強化が必要となり、全線電化の計画を具体化させていった。
 昭和3年10月27日に臨時株主総会が開催され、電化の具体的な内容が決定された。電化に必要な資金の多くは、王子製紙(株)の系列である北海水力電気(株)が出資し、役員3名が派遣されてきた。これは、王子製紙(株)の傘下会社である北海道鉄道(株)が沼の端から苗穂まで開通しており、東札幌において定山渓鉄道と接続していたため、御料林の木材が苫小牧工場まで列車の輸送機関によって搬入できることと、北海水力電気(株)においても電気の販売ができるという利点があった。
 このような背景のもと電化工事は順調に進み、レールは1mあたり35kgのものに改められ、古いレールは銀色に塗られ電柱として利用され、日に当たると眩しく輝く線路や架線となった。、昭和4年10月25日に東札幌から定山渓までの27.2kmの間、電車による旅客輸送がはじまり、同時に豊平駅を現在の場所に新築し移転した。
 電化第1号には、両運転台の半鋼製2軸ボギー3等電動客車モハ100形4両が導入され、それまで平日1日3往復、日曜・祝祭日4往復であった運行が16往復となり、所用時間も1時間30分が50分に短縮され、さらに、運賃も81銭から65銭とした。その後札幌市内及び国鉄連絡の利用客の利便性を考慮し、北海道鉄道(株)の東札幌から苗穂の間3.1kmの電化工事を始め、昭和6年7月25日に乗り入れ電車の直通運転が行われ、利用客にとって尚一層便利な足となった。
 さらに観光ブームは続き、本州からも団体客が入るようになり道路の整備も行われ、昭和7年5月8日札幌駅前から定山渓、さらに豊平峡の間34kmの自動車運送事業を開始した。


 電化にともない定山渓鉄道沿線の人口の増加等により、昭和8年1月7白糸の滝停留所、昭和8年11月18日北茨木停留所(澄川駅)、昭和11年10月20日小金湯停留所をつぎつぎと開設していった。


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