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■終戦直後〜占領軍輸送〜
 第二次世界大戦の終戦とともに、連合国占領軍の一部が札幌に駐留するため、北海道庁立真駒内種畜場の構内を使用して、キャンプ・クロフォードを建設することになり、昭和21年6月3日の工事命令で側線が国有鉄道によって敷設され、同年7月11日にキャンプ・クロフォードと真駒内の間1.4kmが竣工し、キャンプの建設資材の搬入がはじめられ、定山渓鐡道にも再び活気が戻ってきた。この専用側線は国有財産で、管理は運輸省、線路の保守と整備は定山渓鐡道、運転は国有鉄道で行なわれ、東札幌と真駒内の間に、国有鉄道が機関車乗り入れ貨物列車をけん引していたり、軍の移動に客車を乗り入れたりしていた。
 また昭和22年2月2日からは、札幌から真駒内をへてキャンプ・クロフォードまで、旧北海道鉄道から買収した鋼製2軸ボギー3等ガソリン動車2両が運転され、通勤客や軍人及び軍属の輸送がおこなわれた。このほか、苗穂と定山渓の間6往復、豊平または東札幌と定山渓の間5往復、さらに、戦争末期に簾舞に陸軍病院の分院が開設されたこともあり、豊平と簾舞の間7往復の電車が運転され、昭和23年1月1日に下藤野停留所、同月11日に豊滝停留所、昭和26年11月1日には東簾舞停留所が開設され、開設当初から見れば3倍の駅の数となった。

■再開〜自動車運輸業の再開〜

 昭和16年の燃料統制により休止していた自動車運輸事業を、昭和23年5月15日に札幌駅前から定山渓薄別の間34kmを再開し、札幌市内各地へ新規路線の開設や既存路線の延長を重ね、乗合車両の増車を図っていった。さらに昭和24年5月31日には貸切バス運送事業の免許も取得し、団体客用にはトレーラーバスが導入され、ロマンスカーやデラックスカーが次々に増車されていった。
 王子製紙(株)の同系である北海道鉄道(株)が、昭和18年に国有鉄道に買収された時、同社から専務として就任した大村弥一氏が、昭和23年8月5日社長に就任した。しかし、王子製紙(株)が経済力集中排除法の適用を受け、持株を全て持株会社整理委員会に移管したため、定山渓鐡道(株)の株式も昭和23年12月に一般に開放処分された結果、王子製紙の傘下から離脱し、昭和24年11月17日に浅野一夫氏が社長に就任した。


 鉄道沿線が、住宅地としての開発により住民が多くなったことや、昭和25年6月には豊羽鉱山の操業が再開されたことなどにより、鉄道の活気は取り戻されていった。昭和26年11月にモハ1000形半鋼製2軸ボギー3等電動客車やクハ1010形半鋼製2軸ボギー3等制御客車の2両を購入した。また、豊羽鉱山の生産も軌道に乗り、鉱石輸送のため昭和26年4月に国有鉄道から木製2軸無蓋貨車10両を、同年12月には8100形1Cテンダ機関車1両を購入した。
 やがて世の中も落ち着きを取り戻し、また、昭和26年6月の朝鮮戦争による特需景気も出たこともあり、定山渓温泉は再び遊び場的気分が見られるようになり、訪れる行楽客も増加していた。


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